日本は、例年のインフルエンザの時期ならば、
地域の病院や施設でお看取りしていたはずの高齢者が、
厳重なコロナ治療体制のなかへと送り出されていくほか、
コロナが「2類相当の指定感染症」であるために、
ごく一部の病院しか受け入れることができず、
そこだけがひっ迫していくという問題がある。
日本よりもはるかに感染者数も死者数も多い
ヨーロッパは、医療崩壊していない。
もともと公営の病院がほとんどという医療体制で、
普段はなかなか病院にかかれないけれど、
コロナでは、病棟全体をすぐにコロナ専門にして、
ほかの入院患者を別の病院に転院させるなどの
仕組みがあるからだ。
スウェーデンの大学病院の医師も、専門は泌尿器の外科医で、
夏から秋にかけては、外科手術をしていたけれど、
冬に入ってコロナ患者が増えると、病棟全体がコロナのみに
切り替わり、コロナ治療へと駆り出されていく様子を語っていた。
これを比較して、
「日本は、ほとんどが民間病院だから~」ということで
うまくいかないかのように語られる。
もちろん今回は、コロナを季節性インフルエンザのように、
どこの病院でも診られるようにすれば解決する話で、
それをやらないのが、まず問題なのだが、
「ほとんどが民間病院だから」という理由で、
「だから国民の移動の自由も、営業の自由も奪ってもいい、
なによりも一番偉いのは病院だ」
という話になっていることは、おかしい。
特措法改正で、国民の自由を奪い、命令と罰則を与えるのならば、
まずは、病院に、患者を受け入れる命令と罰則、それに伴う補償
を出すという医療体制の法的な整備をするべきなのでは?
「命令と罰則」というと、「怖い」と拒絶反応しがちだが、
その「命令」が下せるだけの「法的な根拠」をきちんと示し、
命令する以上は、国がしっかりと補償を行うから、
従いなさいという法的な筋道をきちんと通す議論があるのが、
法治国家として正常な状態だろう。
そのなかで、必然的に
「いや、コロナはインフルエンザのように診療できれば、
普通に受け入れることができる感染症なんですよ」
「まず5類相当にするなど、ほかにやりようがあって、
いきなり命令を下すような法律は必要ありませんよ」
と意見も出るだろうし、
「だが、コロナどころではない、日本人にとって本当に危険な
感染症が大発生した場合は、どうするのか?
その時の法的な建付けは?」
という議論も必要になるだろう。
それがなくて、すべてがうやむやの無法状態のまま、
「お願いベース」という話で押し切ろうとするから、
病院は、コロナを受け入れたために赤字に転落し、
一番苦労している医療従事者がボーナスカットの憂き目に遭わされ、
雀の涙のような手当でごまかされたり、
国民生活においては、「自粛の要請」が実質的な「強制」や
「社会的制裁」になり、救済を申し立てることもできず、
破滅させられたりしてゆく。
それから、
医師会は、一体なんのための存在なのか?
そもそもこのような時の病院の連携というのは、
日頃から、医師会が真剣に話し合いを重ねて、計画を練って
シミュレーションしておかなければならないことなのでは???
それをやらずに、医師会会長らは
「病院が大変だ、だから国民は動くな、
尊い我々医師のために一般国民は失業してくれ、
運の悪い人は自殺してもしょうがない」
というようなことを連日言いまくっているわけだから、
責任逃れもはなはだしい。
もちろん、最前線で実際に治療に当たっている医療従事者の
人々は本当に大変だと思う。
だが、医師会は、その現場の疲弊を利用して、
「コロナ治療最前線の病院に、みんなで同情しよう!」
という空気を作り、その空気の陰に、
自分たちの責任を包み隠している。
そして、法的な理のまったく通らない世界のまま、
国民に「命令と罰則」を与える方向へと進めていこうとする。
そんな医師会会長の責任逃れを、もてはやすマスコミも同じだ。
「コロナ怖い」「病院に同情しよう」の空気さえ作っておけば、
恐怖を煽って、社会を破壊した自分たちの責任も逃れられるのだ。